早稲田大学

早稲田大学, 早稲田大学(わせだだいがく、英語: Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は早稲田(わせだ)、早大(そうだい)。

概観

大学全体

江戸時代末期の蘭学校である北門義塾(柳田藤吉の創設)の明治5年閉校後、その意思を受継ぎ隣地に大隈重信が明治十四年の政変で下野した後に設立した東京専門学校を前身とし、日本の私立大学では慶應義塾大学(「早慶」の慶)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2011年現在、10の学術院のもと13学部・21研究科(大学院)を設置している。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。 大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの逸材を輩出しているのをはじめとして、出版、新聞、テレビ・ラジオ局などのマスメディア、法曹、文学などの分野で国内外を問わず多くの卒業生が活躍している。英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された。

早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきたモデル校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称されている。

Waseda University

建学の精神

「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を理念とし、教旨が定められている。前身となる東京専門学校の創立30周年を記念し、1913年(大正2年)に制定された。早稲田大学教旨 h2早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。

建学の祖グイド・フルベッキ

『早稲田大学百年史』に「最も直接的な建学の基礎的感化を与えたのはフルベッキである。フルベッキがなかったら、早稲田大学はなく、建っても、勿論、ひどく形式、精神の異なったものとなったであろう」という記述がある。大隈重信は長崎の佐賀藩校致遠館でフルベッキに英語を習った。教材は聖書、アメリカ独立宣言などであった。「アメリカ独立宣言を起草したジェファーソンは、合衆国に民主主義の政治を実行するためには青年を教育することが必要としてヴァージニア大学を創設した。ジェファーソンと同じ考えで私は早稲田大学を創設した」と述べ、「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」としてフルベッキを建学の祖と称えている。

大学名の由来

早稲田大学は、1882年 (明治15年) 10月21日に創設した「東京専門学校」を前身とする。当初は、創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村に、また、校舎が同郡戸塚村にあったことから、関係者が「早稲田学校」「戸塚学校」と言っていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。1892年頃には、専門学校の別名として、「早稲田学校」と呼ばれるようになり、以後1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大学」と表記していた。卒業時の学位記を納める楯には現在も旧字体が使われている。)。出身者などは「稲門(とうもん)」と呼ぶこともある。

Updated: October 9, 2018 — 2:57 am